後世に引き継ぐ道を創り、逆境に立ち向かった強靱な精神
厚生労働省が2年に1回実施している〈医師・歯科医師・薬剤師調査〉では、平成16年度における全国の医師の数は270,371人で、病院と診療所で働く医師は、全国で約25万人、このうち男性が約21万人で女性が約4万人と、女医が圧倒的に少ないのが現状です。
これをさかのぼって調べてみると、昭和のはじめには3千人ほど、大正の始めにはわずか80人ほど、そして明治の始めには女医は一人もいませんでした。なぜなら、当時は女性が医学を学ぶ術がなく、法的にも許されていなかったためです。この難関を打ち破って苦闘の末、一人の女医が誕生したのは明治18年(1885年)のことでした。
その女医第1号〈荻野吟子〉は、いったいどんな女性だったのでしょう。今回は、34歳で医術開業試験に合格して日本初の女医となり、その後キリスト教と出会って北海道に入植し地域医療に励むなど、幕末から大正時代にかけて波瀾に富んだ生涯を送った荻野吟子の人物像をご紹介します。
鹿鳴館スタイルに身を飾った女医第1号になったころの吟子の肖像(明治18年)。
東京順天堂病院に入院し婦人科の治療を受けたことから、女医の必要性を痛感し、
自ら日本の女医第1号となった〈荻野吟子〉(1851年-1913年)は、
女性の地位向上や衛生知識の向上に大きく貢献しました。
※画像提供:熊谷市
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1.豊かな才能と病苦
〈女には要らぬ利発ぶり〉を発揮した少女時代